戦艦
Battleships

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です


常備排水量(竣工時):15,140t 全長(竣工時):131.7m 幅(竣工時):23.2m 吃水(竣工時、平均):8.3m 主缶:石炭専焼缶25基 主機/軸数:レシプロ蒸気機関2基/2軸 出力(竣工時):15,000馬力 速力(竣工時):18.0kt 燃料搭載量(竣工時):石炭1,521t 航続力(竣工時):10.0ktで7,000浬 兵装(竣工時):40口径305mm連装砲2基、50口径150mm単装砲14基、12ポンド速射砲20基、47mm重速射砲8基、47mm軽速射砲4基、457mm水中魚雷発射管4門 装甲(竣工時):水線229mm、甲板76mm、砲塔前楯254mm、砲塔天蓋203mm 乗員(竣工時):859名
↑戦艦三笠(日本海海戦直前時)

↑三笠露天艦橋で日本海海戦の指揮を執る東郷平八郎や艦長の伊地知彦次郎

↑Image courtesy of Shipbucket.
艦名 NAME 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
三笠 Mikasa Vickers, Sons & Maxim, Barrow-in-Furness 1923/9/20 ◎1899/1/24 起工
◎1900/11/8 進水
◎1902/3/1 竣工
◎1904年からの日露戦争では連合艦隊旗艦
◎1904/7/24 三笠と富士の艦載水雷艇は大河湾のロシア駆逐艦を雷撃
◎1904/8/10 黄海海戦に参加した。ロシア帝国海軍の艦艇の砲撃により損傷
◎1904/12/13 三笠と扶桑の艦載水雷艇がロシア戦艦セヴァストーポリ襲撃に参加
◎1905/5末 日本海戦に参加
1905/9/1 佐世保港にて後部弾薬庫の爆発事故により沈没、のちに引き揚げられ修理
◎1905/10/23 海軍凱旋式は、三笠に代わって敷島が旗艦となった。明治天皇の御召艦は装甲巡洋艦浅間であった。三笠は予備艦とされた
◎1905/12/12 艦艇類別等級表の改定に伴い、戦艦の等級が廃止され、戦艦に類別される
◎1906/8/14 浮揚、佐世保海軍工廠にて修理
◎1908/4/24 工事終了。第一艦隊旗艦として現役に戻った
1908/9/25朝 皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)は青森県青森港から三笠に乗艦する
1912/10/3 前部火薬庫火災事故を起こす(火薬庫で自殺を図った水兵が死亡したほか、負傷者複数名を出し)
◎シベリア出兵参加前、三笠では防寒工事が実施され、水上飛行機の臨時搭載も行った
◎1921/9/1 三笠は艦種を海防艦(一等海防艦)に改められる
1923/9/1 横須賀軍港にて関東大震災に遭遇し岸壁に衝突。応急修理のままであったウラジオストク沖での破損部位から大浸水を起こし、着底
日本海海戦を記念して、横須賀にて記念艦となった
◎1923/6/18 保存のための工事が開始された。舳先を皇居に向けたのちに船体の外周部に大量の砂が投入されるとともに、下甲板にコンクリートが注入された。保存に際して廃艦時に撤去した兵装の復元は行われなかったが、砲塔などは木製のダミーが取り付けられた
1926/11/12 三笠保存記念式
◎1945 連合国軍により接収。三笠保存会解散。そののち、荒廃
◎1958 三笠保存会が再建され、復元募金開始
◎1959  復元整備工事が開始(~1961)
◎1959/6/27 所管が大蔵省から防衛庁に移管される
1961/5/27 記念艦三笠復元記念式挙行
◎現在は防衛省が所管し、神奈川県横須賀市の三笠公園に記念艦として保存され、現存している
1992 世界船舶基金財団の海事遺産賞を受賞
☆三笠の撃沈スコア(以下の艦船)
・1904/7/24 ロシア帝国海軍駆逐艦Leytenant Burakov(大河湾にて艦載水雷艇が雷撃、命中し浅瀬に座礁させられたが、大損害を受けていたためそのまま放置(富士と共同で))
・1904/12/13 ロシア帝国海軍戦艦Sewastopol(艦首の防御網に魚雷1発を受け、浸水した(扶桑と共同で))
(←ロシア帝国海軍戦艦ペトロパヴロフスク)


Update 26/01/11